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★拡散希望(連絡が追いついていません。広報にご協力をお願いします!)
「南豆製氷を未来へ!―建造100周年企画展」
日時:2023年11月3日(金)~12日(日)10:00~16:00(水曜休館) 場所:下田市 旧澤村邸 蔵ギャラリー&展示室(ペリーロード/下田市三丁目16-10) 主催:南豆製氷応援団 入場無料/カンパ歓迎
伊豆半島最大級の石造建築で、長きにわたって港町下田の漁業を支え続けた旧南豆製氷所は、大勢の人々を巻き込んだ保存運動の甲斐なく、2014年に解体されました。
南豆製氷が建てられたのは大正12年、2023年は建造100周年に当たります。
この建物を守ることができた世界線があるならば、そこでは年間を通じて様々な記念イベントが開催されていることでしょう。その世界線で生きられないことが残念です。
保存運動が契機となって形成されたコミュニティや人と人とのつながり、それぞれに夢見た下田の未来など、南豆製氷と共に失われたものは二度と戻ってきません。
ただ、保存運動は「正のレガシー」にもつながりました。南豆製氷を基点に生まれた「下田まち遺産」には今や154件が登録され、下田市には景観まちづくり条例ができました。
保存運動を振り返り、その成果を未来へつなげるための企画展を開催します。
南豆製氷を中心にすえた企画展はこれが最後です。この機会にぜひ下田へお運びください。
南豆製氷を未来へ!
2023年10月19日 南豆製氷応援団 発起人 下田まち遺産の会 設立準備会 はなぶさ みどり
Facebook 南豆製氷応援団 https://www.facebook.com/nanzuseihyou
下田まち遺産 https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/category/080402mati_isan/index.html
BACKGROUND
大正12年(1923年)に伊豆製氷冷蔵株式会社の下田工場が伊豆半島初の近代製氷工場として建造されてから、今年で100年です。
のちに「南豆製氷」と名称が変わることとなったこの製氷所は、2004年に操業を停止するまで80年以上にわたって港町下田の漁業の盛衰を見守ってきました。
大正ロマンの面影を残す半島最大規模の伊豆石建築で、廃業前から下田の「ランドマーク」として活用する案が出ていました。
廃業後にまちづくり会社の下田TMOが保存に乗り出し、その動きを草の根で支える目的で南豆製氷応援団が発足したのが2004年3月19日のことでした。
その日、下田のまちづくりに取り組み始めていた東京の建築関係者からなるNPO地域再創生プログラムが南豆製氷を会場に保存に向けたシンポジウムを開催したのです。
そこから、まちづくり会社、県外のNPO、地元の草の根グループ南豆製氷応援団、下田内外の個人や行政機関、そして無数の支援者による保存・活用に向けた運動が始まりました。
南豆製氷は国内では珍しい石造の近代工場で、港町下田のアイデンティティに深くかかわる歴史遺産として、また、観光スポットや文化交流の場、さらには伊豆半島ジオパークのジオスポットとして、活用しつつ後世に伝える価値がある建物でした。
保存運動の過程で、南豆製氷は下田市で唯一の国登録有形文化財に指定され、下田まち遺産連携会議の名のもとに内外の様々なメンバーが毎月下田に結集して保存・活用を話し合いました。
南豆製氷応援団は、廃業まで現役で働き続けた南豆製氷をできるだけ多くの人に知ってもらおうと、建物を公開し、多彩なイベントを企画・運営しました。
また、下田まち遺産連携会議の名のもとに、市民有志や県外の学生さんら素人が建築のプロの指導を得て建物の修復も試みました。
紆余曲折の末、私たちの力不足と不運なめぐりあわせによって、南豆製氷は2014年4月に解体され、更地になってしまいました。
内外の多くの団体や個人が情熱を注ぎ、さらに多くの人たちの支援を得て展開されてきた保存運動は、倒壊の危険を理由に建物内への立ち入りが禁じられ周囲が解体用のシートで覆われた2008年以降、空中分解してゆきました。
その後、もともと時限立法に基づいて設立された下田TMOが解散、東京のNPO地域再創生プログラムも活動を停止。草の根グループ南豆製氷応援団も解散を検討しましたが、当初はメンバーの同意が得られず、今に至ってしまいました。
応援団の一部有志は、建物で活動できなくなった2008年から2014年まで、機械室だけでも購入しようと計画を提案したり、保存を呼びかける企画展を散発的に開催しましたが、解体への流れを止めることはできませんでした。
「歴史的な建物を失うことは、町の歴史を失うこと」。これは、保存運動のスローガンのひとつでした。ただ、南豆製氷を失うことによって失われたのは、歴史だけにとどまりません。
南豆製氷に集っていた内外の人々のつながりも絶たれ、そこで人々が夢見た下田の未来も潰えてしまいました。失われたものはいくら金を積んでも取り返せるものではありません。
このかけがえのない場を守れなかったことは、南豆製氷に深くかかわった者ほど、今に至るまで大きな心の傷となって残っています。
とはいえ、南豆製氷の保存運動は「正のレガシー」も残しています。それが、「下田まち遺産」です。
これは、2006年3月に当時は建築家の卵だった東京のメンバーが提唱したもので、南豆製氷だけでなく、大切に残したい有形無形のものを「まち遺産」ととらえて、下田の様々な「まち遺産」を結んで線にして、面へと展開して町全体を活気づけようという構想でした。
そして、そのためには景観条例が必要だろうということで、「下田まち遺産」を取り入れた下田市景観まちづくり条例も制定されました。
下田を愛する人ならば、市民であるなしにかかわらず登録を提案できる画期的な制度のもと、今では154件もの「下田まち遺産」が登録されています。
南豆製氷は保存運動の甲斐なく失われましたが、「下田まち遺産」のスピリットの中で生き続けているのです。
南豆製氷を未来へ! #
by nanzu-plus
| 2023-10-19 17:50
| 情報
下田内外の大勢の人々を巻き込んだ保存運動の甲斐なく、旧南豆製氷所が失われてから9年が経とうとしています。
そして、2023年は南豆製氷の建造100周年に当たります。
私たちがこの建物を守ることができた世界線があるならば、そこでは年間を通じて様々な記念イベントが開催されていることでしょう。
その世界線で生きられないことが残念ですが、今年は南豆製氷の保存運動を総括し、その成果を次代へつなげるための企画展を11月初旬頃に開催する予定です。
南豆製氷にかかわった多くの方々と再び下田でお会いできればと思いますので、広報よろしくお願いします。
南豆製氷を未来へ!
2023年3月19日 南豆製氷応援団 発起人 下田まち遺産の会 設立準備会 はなぶさ みどり
★写真は『賀茂郡勢概要』(小林要造編、大正12年)新築工事中の様子
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大正12年(1923年)に伊豆製氷冷蔵株式会社の下田工場が伊豆半島初の近代製氷工場として建造されてから、今年で100年です。
のちに「南豆製氷」と名称が変わることとなったこの製氷所は、2004年に操業を停止するまで80年以上にわたって港町下田の漁業の盛衰を見守ってきました。
大正ロマンの面影を残す半島最大規模の伊豆石建築で、廃業前から下田の「ランドマーク」として活用する案が出ていました。
廃業後にまちづくり会社の下田TMOが保存に乗り出し、その動きを草の根で支える目的で南豆製氷応援団が発足したのが2004年3月19日のことでした。
その日、下田のまちづくりに取り組み始めていた東京の建築関係者からなるNPO地域再創生プログラムが南豆製氷を会場に保存に向けたシンポジウムを開催したのです。
そこから、まちづくり会社、県外のNPO、地元の草の根グループ、下田内外の個人や行政機関、そして無数の支援者による保存・活用の運動が始まりました。
南豆製氷は国内では珍しい石造の近代工場で、港町下田のアイデンティティに深くかかわる歴史遺産として、また、観光スポットや文化交流の場、さらには伊豆半島ジオパークのジオスポットとして、活用しつつ後世に伝える価値がある建物でした。
保存運動の過程で、南豆製氷は下田市で唯一の国登録有形文化財に指定され、下田まち遺産連携会議の名のもとに内外の様々なメンバーが毎月下田に結集して保存・活用を話し合いました。
また、廃業まで現役で働き続けた南豆製氷をできるだけ多くの人に知ってもらおうと、南豆製氷応援団が建物の管理を担当し、一般公開や多彩なイベントを企画・運営しました。
紆余曲折の末、私たちの力不足と不運なめぐりあわせによって、南豆製氷は2014年4月に解体され、更地になってしまいました。
内外の多くの団体や個人が情熱を注ぎ、さらに多くの人たちの支援を得て展開されてきた保存運動は、倒壊の危険を理由に建物内への立ち入りが禁じられ周囲が解体用のシートで覆われた2008年以降、空中分解してゆきました。
その後、もともと時限立法に基づいて設立された下田TMOが解散、東京のNPO地域再創生プログラムも活動を停止。草の根グループ南豆製氷応援団も解散を検討しましたが、当初はメンバーの同意が得られず、今に至ってしまいました。
応援団の一部有志は、建物で活動できなくなった2008年から2014年まで、機械室だけでも購入しようと計画を提案したり、保存を呼びかける企画展を散発的に開催しましたが、解体への流れを止めることはできませんでした。
「歴史的な建物を失うことは、町の歴史を失うこと」。これは、保存運動のスローガンのひとつでした。ただ、南豆製氷を失うことによって失われたのは、歴史だけにとどまりません。
南豆製氷を基点に集っていた内外の人々のつながりも絶たれ、そこで人々が夢見た下田の未来も潰えてしまいました。失われたものはいくら金を積んでも取り返せるものではありません。
このかけがえのない場を守れなかったことは、南豆製氷に深くかかわった者ほど、今に至るまで心の傷となって残っています。
とはいえ、南豆製氷の保存運動は「正のレガシー」も残しています。それが、「下田まち遺産」です。
これは、2006年3月に当時は建築家の卵だった東京のメンバーが提唱したもので、南豆製氷だけでなく、大切に残したい有形無形のものを「まち遺産」ととらえて、下田の様々な「まち遺産」を結んで線にして、面へと展開して町全体を活気づけようという発想でした。
そして、そのためには景観条例が必要だろうということで、「下田まち遺産」を取り入れた下田市景観まちづくり条例も制定されました。
下田を愛する人ならば、市民であるなしにかかわらず提案できる画期的な制度のもと、2022年10月現在、151件もの「下田まち遺産」が登録されています。
南豆製氷は保存運動の甲斐なく失われましたが、「下田まち遺産」のスピリットの中で生き続けているのです。
南豆製氷を未来へ! #
by nanzu-plus
| 2023-03-20 01:08
| 情報
伊豆下田の石造の近代化遺産・旧南豆製氷所、消滅
撮影日:2014年4月27日 ※南豆製氷の隣で私たちの活動を見守ってくれた住吉稲荷に参拝。 「日誌」を掲載しました。 下田まち遺産企画 第4弾 ≪さらば南豆製氷、元祖下田まち遺産≫ 下田市旧町内・澤村邸の蔵にて2月11日から18日まで開催しました。 250人ほどの来場者がありました。ご協力いただきました皆様、 ありがとうございました。企画展はこれからも開催します。 ※企画展の内容なども時間ができたらUPします。 更新情報 ・2014.4.27 「日誌」を更新しました ・2014.4.14 「南豆製氷の画像」→4月14日の写真をUPしました ・2014.2.26 「南豆製氷の画像」→伊豆石ギャラリー ・2013.12.15 「南豆製氷の画像」→ぐるっと一周(コメント付き) ・2013.12.6 「日誌」→12月4日の日誌をUPしました ・2013.4.3 「報告」→広報文「NPO地域再創生プログラムからのメッセージ」 ・2013.4.3 「報告」→南豆製氷を下田まち遺産に登録しよう ・2013.4.3 「募金」→広報文「所有者に感謝するありがとう募金」 ・2013.2.5 「報告」→建造90周年記念写真展 ・2012.11.15 「情報」→伊豆新聞に掲載された寄稿文 ・2012.9.17 「報告」→市議会向け陳情書 ****************************** ※1月25日付けの読売新聞が南豆製氷の記事を掲載しました。 解体時には下田市教育委員会が建物の調査を実施します。 読売新聞→http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/news/20140124-OYT8T01125.htm ****************************** 2004年にまちづくり会社の下田TMOが保存運動を始めてから十年。 2008年に下田市が購入を断念して草の根集団の南豆製氷応援団が 建物の管理・運営から撤退して以来、応援団有志として一人でも できることをやろうと細々と活動してきましたが、もとより力不足でした。 長年にわたって、あるいは近年から応援してくださった皆様、ごめんなさい。 伊豆半島の南端、幕末開国で有名な下田の旧町(港町地区)の 玄関口に大正末期からたたずんできた旧南豆製氷所(なんずせいひょう)。 1923年(大正12年)に建造され、2013年に90周年を迎えました。 2004年に廃業するまでおよそ80年間も水産業界に氷を供給し続けた 港町下田の歴史の生き証人です。 稲生沢川の下流、かつて港として栄えた大川端に連なる旧町の一角で 下田に歴史の町としての風情をかもし出してきました。 伊豆が古くから石材の産地だったことから、地元の伊豆石が使われた 石造の近代化遺産です。伊豆に残存する最大の伊豆石建築であり、 2012年9月に国内認定された伊豆半島ジオパークの“ジオスポット” としての価値もある建物です。 2005年に下田市が購入の意向を表明、購入するまでのピンチヒッター として篤志家(現所有者)が2006年に2年間の期限付きで購入。 その流れの中で市内唯一の国登録有形文化財に指定されています。 期限であった2008年に市が財政難を理由に購入を断念して以来、 所有者の方も建物の処遇に困り、解体やむなしと判断されたようです。 保存運動が始まった当初から“購入に1億円+耐震化に1億円"と 想定され、資金調達と投下資金を回収するための事業計画が 保存・活用への障害となってきました。 この9年間に南豆製氷を取り巻く状況は変化し、観光施設としての 活用可能性は近年ようやく現実味を帯びてきたところでした。 レトロな景観で観光客に人気のあるペリーロードまで一直線という 絶好の場所に立ち、2005年から4年間の保存運動の過程では 作品展、ライブ、詩の朗読会、ダンス、演劇、映画上映、勉強会など、 多彩なイベントが開催され、内外市民の交流の場となりました。 「歴史的な建物を失うことは町の歴史を失うに等しい」 市民と行政が連携して進めていた保存運動の中で生まれた “下田まち遺産”という考え方の元祖であり、2010年に施行された 下田市景観まちづくり条例の原点となった南豆製氷を失うのは “歴史の町”下田にとって大きな痛手です。 ただ、最盛期には内外の多くの人々を巻き込んで展開された 南豆製氷の保存運動は、私たちに多くのことを教えてくれました。 すでに2008年に所有者が解体を表明していたためなのか、 南豆製氷そのものは内外市民の要望にもかかわらず最後まで 認定されることはありませんでしたが、下田には今や後世へ 大切に伝えたい130もの“下田まち遺産”が登録されています。 解体は取り返しのつかない最悪の結末ですが、“元祖下田まち遺産”に 敬意を表する意味でも、ここでくじけずに南豆製氷に与えられた教訓を 後世へ伝え活かしていくことが私たちに残された課題だと思います。 “元祖下田まち遺産”南豆製氷は、素晴らしい思い出と共に 未来へ伝えるべき多くの遺産を残してゆきます。 南豆製氷を未来へ! 南豆製氷応援団 英 みどり nanzu@center.email.ne.jp 所有者に感謝を表わす≪南豆製氷・ありがとう募金≫について 「これまで南豆製氷にかかわるコストとリスクを一身に負ってこられた 所有者に市民の感謝を伝える機会がこれまでなかった」という一市民 からの提案で、南豆製氷応援団は建物を今日まで残してくださった 所有者に感謝の気持ちを伝える≪ありがとう募金≫を呼びかけました。 おかげさまで、下田市民の皆様、これまで南豆製氷の再生に共に 取り組んできた市外の協力者の皆様、今回初めて南豆製氷のことを 知った皆様はじめ、街頭募金に応じてくださった観光客の皆様から、 11月30日までに36万3,593円の募金が寄せられました。 ご賛同いただきました皆様、本当にありがとうございました。 募金は感謝の表現として所有者の方にご迷惑がかからない形で お届けする方向で検討中です。詳細が決まり次第、ご報告します。 ※「募金」カテゴリもご覧ください。 ※3月25日付け静岡新聞(夕刊)記事→「報告」カテゴリをご覧ください。 ****************************** これまで南豆製氷の行く末を見守ってきてくださった皆様にも様々な 想いがあることと思います。メッセージがあれば、下記へお願いします。 南豆製氷応援団・事務局 〒415-8799 静岡県下田市2-4-26下田郵便局私書箱21号 nanzu@center.email.ne.jp FAX 0558-22-3166 田中俊昭さん(所有者) →南豆製氷応援団・事務局にお寄せください。ご本人にお届けします。 楠山俊介 下田市長 〒415-8501 静岡県下田市東本郷一丁目5-18 下田市役所 川勝平太・静岡県知事 〒420-0853 静岡県静岡市葵区追手町9-6 静岡県庁 ****************************** ・これまでの経緯と現状について→「情報」カテゴリへ。 ・南豆製氷応援団が現所有者に建物を返還した2008年末までの 詳しい経緯→「南豆製氷とは」カテゴリ→「これまでの経緯」へ。 #
by nanzu-plus
| 2014-04-27 18:22
| 情報
今日は朝から数人が住吉稲荷に集まった。
須崎町の住吉稲荷は海で働く人の守り神。江戸時代から 今日にいたるまで地元の厚い信仰を集めてきたお宮さんだ。 大正から昭和にかけて下田は漁業基地として大いに栄えた。 市内唯一の国登録有形文化財だった南豆製氷は、大正12年 (1923年)に地元の旦那衆の出資で伊豆製氷冷蔵株式会社の 下田工場として建造された。伊豆で最初の近代製氷工場だった。 下田の水産業の近代化に貢献し、2004年に廃業するまで 実に80年以上にわたって現役工場として氷を供給し続けた。 近代日本の製氷工場として国内でも希少な産業遺産だった。 廃業後は地元の商店主らを中心にランドマークとして保存して 下田の活性化に利用しようという声が上がり、それが一般市民や 下田TMO、建築家、行政をも巻き込んだ保存運動へと発展していった。 南豆製氷で飛んだり跳ねたりしていた私たちの活動も含めて、 住吉稲荷は何百年間も下田の人々の営みを見守ってきた。 2006年、私たち応援団が南豆製氷を拠点に活動していた頃、 お稲荷さんの陶製の狐が一匹、なぜか南豆製氷でみつかった。 以後、機械室の壁にかまぼこ板で作った台をしつらえて(笑)、 そのお狐さんを住吉稲荷からの使者として祀っていたのだ。 今日はそのお狐さんを奉納してこれまで見守ってくれた 住吉稲荷の神さまに感謝した。 南豆製氷が消失して日当たりが良くなった場所に花が揺れていた。 #
by nanzu-plus
| 2014-04-27 09:00
| 日誌
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南豆メモ
南豆製氷 消滅
これまで建物を 残してくださった 所有者に向けた ≪ありがとう募金≫ 2013.11.30 終了 合計:36万3,593円 ::Links:::::::::::::::::::::::::::::: 下田まち遺産連携会議 下田TMO NPO地域再創生プログラム カテゴリ
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